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01.明日への虹




 走りながら後ろを見た。誰もいない。
 わたしは立ち止まり、息を整え、汗をぬぐった。
 お母さんも、誰も、追いかけてこない。家出してやると言ったのに。

 何も考えずに走ったので、道を間違えてしまった。渚の家は今のところを右なのだ。



「こんな時間に遊びに来たの?」
 渚に出された麦茶はよく冷えておしかった。少しのどが渇いていたのでいつも以上にそれを感じた。
 おばさんはいない。渚の家は共働きなので、いつもひとりで留守番している。彼は自分でご飯を作れるし、わたしにお茶を出すぐらいなんてことない。
「違うよ。家出してきたの」
「家出? 冬呼(とうこ)が?」
 渚はさして驚いたようもなく、むしろ小馬鹿にするように言った。
 少し腹が立った。
「何よ、悪い!?」
「別に、悪くないけど……何も持たずに家出して来たの? ウチに来るんじゃ、ただ遊びに来たのと同じじゃん」
 今はもう、渚は小馬鹿にするのも止めて、呆れている。
 わたしは自分が少し情けなくなってきたが、必死に言い訳した。
「だって、頭にきてそのまま飛び出してきたから。お金とか考える暇なかったし……」
「お金だけじゃないよ。ずっとその格好でいる気なの? 着替えは? 学校は? まさか僕のを借りるつもりだったの? 冬呼の家出ってたかだか一泊や二泊なの?」
 渚は容赦なく、痛いところをついてくる。
 ちくしょ。こいつのとこに来るんじゃなかった。幼馴染だからといって、いやだからこそ、甘くするようなやつではないのだ。
「わかった。もう渚には頼らないよ。じゃあね」
「どこにいくの? どうせ学校の友達の家だろ。一番にココにくるような単純な冬呼なんだから、家の人はすぐに居場所ぐらい掴めるよ。だいたい友達のとこにいくなんて、それは家出じゃなくてただのお泊りだろう? お金持っていたって小学生一人泊めるようなとこはない。だからさっさと家に帰りなよ」
 渚の説教のようなものがやっと途切れた。あんたも小学生のくせにおじさんくさいのよ。
 わたしは渚を睨みつけたが、「冬呼が睨んだって怖くないよ」と言い、平然な顔をしていた。
 むくれながらも考えた。
 確かに、渚の言うとおりである。最高学年といっても、所詮小学生。友達の家以外行くとこなどない。
 それでも諦めるわけにはいかなかった。お母さんだけでなく、渚にもわたしの意地を見せてやる。
「絶対家には帰らない。一人でなんとかする」
「どうせ公園で一晩明かそうとしてるんでしょ。夜中でも結構いろんな人が来るからやめたほうがいいよ」
「ばかにしないでよね。わたしが行こうと思っているのはタヌキ山よ」
 この町にはとても小さな山がある。それがタヌキ山。正式名称ではないと思うが、学校の先生もそう呼んでいる。別にタヌキが山に住んでいるとかではないが、みんなさほど疑問もなくそう呼んでいる。
 幼稚園、いやそれより前から、いつもこのタヌキ山で遊んでいた。一人でだって何度も行ったことがある。渚と一緒に行ったことの方がずっと多いけど。
 タヌキ山のことなら何でも知っている、と思う。少なくとも渚のいう公園よりずっと安全だ。
 今度は誰が止めたって、わたしは絶対タヌキ山に行く。
 そう決意を固め、バイバイと言って、家を出て行こうとした。
 しかし後ろから肩を掴まれてしまった。渚だ。
「なによ?」
「冬呼、本当にタヌキ山に行くの?」
「行くわよ。止めたって無駄よ!」
 渚は肩から手を離し、にっこりと笑った。
「僕も行く」
「は?」
「タヌキ山なら僕も一緒に行く。楽しそうだしね」
 そう言って渚はお茶を下げ、鍵を持った。
 そしてわたしは手を引っ張られた。
「早く行こうよ。暗くならないうちに登ったほうがいいでしょ」
 こうしてわたしは引きずられるような形で渚と一緒にタヌキ山に向かうことになってしまった。

 なんで? どうしてこんなことになったんだ?




 ガサゴソとわたしたちは、タヌキ山の繁みをかきわける。
「冬呼ー! 怪しいきのこ見つけたよー!」
「そんなもん、見つけるな!」
 お腹がすいた。もう、かなり日が傾いている。
 夕飯を食べてから家出すればよかったのだろうが、そもそも家出の理由は晩御飯のおかずなのだ。しょうがない。
「あーあ。お腹すいたー。冬呼、ご飯もお菓子さえも持ってこなかったの?」
「だから頭にきてそれどころじゃなかったんだってば。渚だって何か持ち出せばよかったじゃない。なんでそこまで頭がまわらないのよ」
「飴玉ぐらいなら冬呼が持ってると思ってたの。何で冬呼がそこまで間抜けだって頭がまわらなかったんだろうなー」
 山の中にも一応食べれるものはあるが、どれもお腹がいっぱいになるようなものでもないし、たくさん食べ過ぎてはいけないルールがあるのだ。
 さっきから他に食べられそうなものを探しているのだが、結局、渚が見つけた怪しいきのこしかなかった。そんなもの食べれるか。
「ねえ、冬呼。歩き回っても体力消耗するだけじゃない? もう寝たら」
「だめよ。暗くなるまで諦めちゃ。夜になったら探せられない」
 夜でも結構見えるよ、と渚が言ったときである。
 急に、本当に急に、暗くなった。日が沈んだというわけでなく、そう、影が差した感じだった。
 見上げればいつのまにか黒い灰色の雲が空を支配している。
 やばい。雨が降る。
「冬呼、こっち!」
「うん!」
 急いでわたしたちは大きな木の下のところへ走った。



「結構降るねー。そろそろおばさんたちも心配しているころだよ。たぶんすぐやむだろうし、この雨がやんだら帰る?」
「誰が。帰るなら渚一人で帰ってよね。わたしは絶対帰らないから」
 そう強がってみてもだんだん心細くなってきた。
 家に帰ったらお母さんが居て、たぶんお父さんも居て、晩御飯が待っている。だけどわたしの大嫌いななすなので、やっぱり嫌だ。
 ちらり、渚のほうを盗み見たが、わたしのようにうつむくわけでもなく、前を見るでもなく、首が変な方向に曲がって、上の方を、何かを見ている。何が見えるんだろう。同じ方向を見てみるが、何も見えない。ただ黒い雲があるだけだ。
「渚、何を見てるの?」
「虹」
「にじ? 虹が見たいの? 確かにこの雨すぐ止みそうだから見えるかもしれないけど、もう太陽が沈んで虹できないかもよ」
 渚はくるりとわたしの方を向いた。
 驚いたが、渚は特に気にするわけでなく、またにっこりと笑った。
「違うよ。僕は虹を見てるんだよ」
「だからできないってば」
「雨雲は向こうのほうから流れてきたんでしょ? だからきっとあっちには虹が出来てる。それを見るの」
 そう言って渚はあっち≠指した。そしてまたその方向を見ている。
 渚は小学生のくせして現実的だし、頭がいいからガキくさい≠アともしない、可愛くない子供だ。人付き合いがうまいというか、やっぱり頭がいいから、人の喜ぶことや子どもっぽくみせることを忘れないが、いつだって渚はわたしたち子供より一歩大人なのだ。
 だけど、時々こういう、メルヘンちっくというかロマンチックな……どっちとも恥ずかしい言葉だが、そんな子どもよりも幻想的なことを言う。わたし以外に言っているとこを見たことないが、そういう渚は結構好きだ。意味がわからないときもよくあるけど。
 わたしも渚の指したほうを見上げる。だけどやっぱり黒い雲しか見えなかった。
 あっちには本当に虹が出来ているのだろうか? たしかに、雨雲が去った後だから、出来ているかもしれない。
 だけどわたしには見えない。
 わたしはひねった首を戻して、また空を見上げる。
 もし、ここから見える虹が架かるとしたら、あそこだと思う。
 なんとなくそう思った。
「冬呼には虹が見えない?」
 渚はあっち≠ノある虹の方のを向くのをやめ、そう話しかけてきた。
 顔を見ると笑っていたが、渚はどこか悲しい顔をしていた。
「うん。わたしには見えないよ。でも、あそこに虹が架かりそうな気がするの」
「え……?」
 架かりそうな気がする空を指した。
 見上げる。黒い雲しかない。
 虹はきっと出来ないし、そこにはない。
 そんなわけないじゃん、と言われるかと思った。
 だが意外にも渚は微笑んだ。
「そうかもね。雨がこのまま降り続けて、それが朝になってやめば、あそこに虹が架かるかも」
「うん」
 雨はきっともう少ししたらやむ。その証拠にだんだん弱まってきた。
 日ももう沈んだだろう。

 虹はできない。


 でも、わたしと渚はずっと空を見上げていた。




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