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番外編  保健医と恵利



 
 朔と恵利が集団の女子生徒に呼び出され、そこを都崎に助けてもらった日。
 遅くなったということで、朔は雪人に、恵利は都崎に車で送ってもらうことになった。
 帰り道、歩きながら朔がずっと恵利のことを心配していたとき、
 恵利は都崎の車の中で身を強張らせて緊張していた。



 気まずい……! 何か話題ないかな……。
 恵利が最初に自分の家の位置を話すと、都崎はすぐわかったらしく、道順を説明する必要がなかった。
 恵利の家はとてもわかりやすいところにあるのだ。
 沈黙しかない車内の雰囲気を変えたくて、何か話すことはないかと恵利は頭をフル回転させたが、思いつかなかった。
 口を開くかわりに、彼女は少し首を横に向け、都崎を盗み見る。
 端整な横顔は相変わらずきれいだが、何の表情もうかべず、都崎は運転している。
 車に乗っているのは、運転している都崎と、助手席に座っている恵利。二人だけである。
 都崎に送ってもらえるということで、最初、緊張しながらも少しワクワクしていた恵利だが、今はただ緊張が強まるばかり。
 車内に二人っきりというのは考えていた以上に意識するものであり、しかも隣に座るのが都崎ということで、どんどんドキドキを増幅させていく。
 何か話題を、いやそれより都崎先生のことは忘れて、他のことを考えよう。まず家に帰ったら、お腹すいたから少しおやつを食べて、それからその後宿題を……。

「あ!」

 恵利が突然声を上げる。
 しまった……どうしよう……。
「どうしたんだ?」
 都崎は相変わらず前を向きながら、恵利に訊ねる。
 あ、初めて先生が喋った。いや、そうじゃなくて……!
 恵利は恐る恐る都崎のほうへ向き、自然に少し上目遣いになって言った。
「あ、あの、今日の宿題を学校に置き忘れたみたいで……」
「…………」
 都崎は何も言わずに車をUターンさせる。
 その無言が怖い!
 恵利はその怖さと申し訳なさで泣きたくなった。



「す、すみません……!」
 恵利は急いで助手席に乗り込む。
 宿題を持っていないほうの手で車のドアを閉める音を聞いてから、都崎は車を発進させる。
 怖い……。都崎先生怒ってるかな……?
 恐る恐る都崎を見る。
 都崎は前から目を離さず恵利に言った。
「シートベルト締めたか」
 あ、締めてない! 急いで締めなきゃ!
 慌てて恵利はシートベルトに手を伸ばす。
 しかし動揺しすぎてか、勢いあまって窓ガラスに指をぶつけてしまった。
「いたっ!」
「どうした? 突き指か?」
 突き指というほどのものではなかったが、ついつい大きな声を上げてしまった。
「いえ、突き指はしていません。大丈夫です」
「そうか、気をつけろよ」
 はい、と言いつつ恵利はシートベルトを伸ばす。
 何やってるんだろうと思いながら、カチッとシートベルトを装着しようとしたら、一緒に指の皮を挟んでしまった。
「いッ!」
 驚いてまた声を上げてしまう。
「すみません」
 恵利は謝り、やっとシートベルトをつけることができた。
 さっきから騒がしい自分にまた、怒ってないだろうかと、都崎を見る。
「……おまえも、よく怪我をするのか?」
 都崎のほうから話しかけてきたので、恵利は驚く。
 少し間をあけ、質問の意味を考える。
 おまえもって、もしかして朔も私もっていう意味なのかしら。そうならとんでもない勘違いだ。
「わ、私はあまり怪我しないです。朔が特別で……朔の家族はみんなよく怪我をするそうで……」
 動揺のあまり、関係ないことまで口走る。朔の家族のことまで持ち出さなくてもいいじゃないかと恵利は後悔する。
「園山の家族……? 家族でよく怪我をするのか?」
「は、はい」
 朔が前言っていた。
 わたしは確かによく転ぶかもしれないが、軽症ばかりだ。他の家族に比べたら、全くたいしたことない、と。
 一体どんな家族なんだろう、とそのとき恵利は思った。朔の家には行ったことがない。
 行ったら行ったで、無事に帰れそうにない気がすると失礼なことも考えたのを覚えている。
 都崎は眉間にしわをよせて言った。
「迷惑そうな家族だな」
 真面目にいう都崎がおもしろくて、恵利は吹きだしそうになった。
 確かに、都崎にとっては迷惑を掛けられるばかりなのかもしれない。
 恵利は、少し緊張が解け、何とか話をつなげようとした。
「都崎先生の家族はどんな方たちなんですか?」
 都崎は、やはり前を見て運転している。
 質問した瞬間、空気がかわった気がした。
 恵利は、しまったと思った。
 先生はアレコレ自分のことを訊かれるのが嫌いらしい。隣の子が話していたことを聞いたことがある。
 きっと血液型や誕生日と一緒に、何度も訊かれた質問なのだろう。うんざりして怒ってしまう気持ちもわかる。
 どうしよう。せっかく少し会話出来てたのに……。
 ここで話を終わらせたくないと、恵利は口を開く。
「私には弟が一人いるんです」
 喋ってしまってからまた、恵利はしまったと思った。
 恥ずかしくて顔が熱くなるのがわかる。自分の家族のことを話してもどうしようもないじゃないか。
 しかし意外にも、都崎は言葉を返す。
「弟がいるのか」
 恵利は驚きつつも、「はいっ」と返事する。
 そして「もしかして都崎先生も弟がいらっしゃるんですか?」と訊いた。
 また、ついつい訊いてしまった後で、訊くんじゃなかった! と思う恵利だったが、都崎は少し間を空けて「ああ」と答えた。
 都崎が返事をしてくれたのが嬉しくて、恵利はもう都崎のことは訊かないようにしようと心がけつつ、自分の家族のことについて話した。

 優しくて、最近少し太り気味なお父さん。
 楽天的で放任主義、美人で少し自慢なお母さん。
 生意気でで食いしん坊な弟。

 恵利はこんな話聞いてもつまらないだろうなと思いながら、一生懸命話した。
 都崎は表情はあまり変わらずとも、つまらなそうな素振りは見せず、恵利の言葉に時々「そうか」と相槌を打った。
 無口で無愛想な保険医が相槌を打ってくれたのが、恵利にとってとても嬉しかった。


 喋っているうちに、車は恵利の家に到着した。
 恵利がお礼を言う。
「ありがとうございました」
 都崎は「ついでだ」としか言わなかったが、恵利はもう一度お礼を言った。
 車から降りて、また頭を下げる。
 そして都崎の車を最後まで見送った。

 特に都崎と仲がよくなったというわけではない。
 しかし恵利はとても嬉しくなって、しばらく胸のどきどきが静まることはなかった。




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