遠くから聞こえる授業の声とテープを切ったりする音だけしか保健室にはない。
手当て中、やはり都崎は何も喋らない。
朔も黙ったまま。
都崎との沈黙はつらいと思っていた朔だが、今は気にならなかった。
「終わった」
「ありがとうございました」
朔は一礼し、保健室を出て行こうとした。
「おい、靴はこっちだぞ」
そういえば外から入ったんだ。
彼女はそのことを忘れて、靴下で廊下に出ようとしていた。
慌てて外に出るドアに近づく。
そのとき、ガラリッと廊下側のドアが開いた。
保健室のドアを開けたのは一人の女子生徒だった。
美人な子だが、その表情は険しい。
「都崎先生」
女子生徒は真っ直ぐと都崎を見る。
どうやら朔の存在に気づいてないらしい。
そんなに大変な怪我をしたんだろうか。
しかし、外傷らしきものは何もなかった。
頭が痛いのかな。
とても深刻そうな彼女を見て、朔はついついそんなことを考える。
「どうした?」
都崎が女子生徒に訊ねる。
驚いたことに彼女の目には涙が溜まっている。
何も喋ろうとしない女子生徒に、都崎は「具合でも悪いのか?」と訊く。
唇を震わせながら、女子生徒は口を開いた。
「先生、先生に恋人がいるって本当ですか?」
その瞬間、女子生徒の瞳から涙が零れる。
都崎は眉を寄せ、朔は目を丸くする。
「保健室に用がないのなら帰れ」
「あります! 先生、答えてください! 昨日都崎先生と女の人が一緒に歩いていたところを見たっていう子がいるんです」
「俺が誰と一緒にいようがおまえには関係ない」
更に都崎は眉をよせる。
女子生徒はギュッと唇を噛んで、言った。
「関係あります! 私、都崎先生のことが好きなんです!」
朔は瞬間、階段の一番上から転がり落ち、頭を思いっきりぶつけたような衝撃を受けた。
いや、そんなところから落ちてる場合じゃない、と朔は頭を振る。
都崎のほうを見る。
眉間にしわのよってない、冷ややかな無表情がそこにあった。
「ふざけてないで、さっさと教室に戻れ」
都崎は無情に切り捨てる。
女子生徒の瞳から更に涙が溢れ出す。
それでも彼女はまた唇を噛みしめ、口を開く。
「ふざけてなんかいません! 私、本気で都崎先生のことが好きです!」
「子どもの勘違いだ。わかったらさっさと戻れ」
「違います! 私、初めて本気で人を好きになったんです! 都崎先生を見たときから。こんな気持ち初めてなんです……」
女子生徒の涙は頬をつたい、流れてゆく。
いつもの朔ならば、白けた気持ちで話を聞いていただろう。むしろ途中で去る。
なのに、彼女の表情を見て、涙を見て、この人は本気で都崎が好きなんだと思った。
都崎が好き……。
朔は、何となく見たくなかった、都崎のほうを向く。
都崎は、無表情だった顔に、蔑むような色を加える。
呆れたような嘲るような声で都崎は言った。
「くだらないな」
「なっ……! ヒドイ! 先生はそんな人じゃ」
「他人に勝手な理想を押し付けるようなやつは迷惑以外のなにものでもない」
女子生徒はもう何も言えず、目を大きく見開き、その目からは大粒の涙が溢れ、全身をワナワナと震わせながら、大きな音を立てて保健室を出て行った。
騒がしいやつだと、都崎は彼女が開け放っていったドアを閉める。
「園山、まだ居たのか。おまえもさっさと教室に戻れ」
朔はゆっくりと深呼吸をする。
そして都崎に一歩一歩近づく。
二人の間がほとんどなくなったとき、都崎は朔を見下ろす形となる。
朔は冷たい目で見る都崎を泣きそうになりながら睨む。
乾いた音が保健室に響く。
都崎の頬を、朔が叩いた。
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