他人丼を食べ、今日ある授業を全て受け、都崎が教室に来たときから時間が過ぎるにつれて、朔の心臓のバクバクもほとんど収まりかけていた。
帰りのSHRも終え、恵利の班が教室の掃除を終わらせるのを廊下で待っていた。
突然ポケットに入れていた携帯のバイブがする。
メールが来た。
開けてみるとそれは雪人からだった。
『朔、急な誘いで悪いんだけど、これから前行ったあの景色のいいところに来ない?』
内容はそれだけだった。
景色のいいところ……そういえば前に行ったことがある。
あのときの雪人は怖かったと、朔はしみじみ思い出す。
行ってみたい気がする。いや、行きたい。
心臓のバクバクは収まっても、まだ胸の中にあるモヤモヤ。あのきれいな景色を見れば、少しはすっきりする気がした。
『行く。またあの景色見たい。でもまだ学校で今から恵利と帰るから遅くなるかも』
朔はそう返信する。教室の掃除もあと、集めたゴミをちりとりで取るだけ。
『よかった! 朔と話したいことがあったんだ。じゃあ待ってるから』
遅くなることは気にしてないらしい。朔は携帯を閉じる。
「朔、ごめんね、待たせて。掃除終わったよ」
鞄を持った恵利が廊下に出る。
朔は「帰ろうか」と言い、二人は下駄箱に向かう。
早くあの景色が見たい。
朔の足は知らず知らずのうちに速くなっていた。
早くあの景色が見たい。
心だけが躍り、それが余計に遅くさせたのかもしれない。
『朔、そこから見える大きなスーパーがあるでしょ。そのもうちょっと先を行ったところを左折だよ』
「スーパー、スーパー、あった! もうちょっと先を行ったところを左折ね」
朔は左折左折と繰り返しながら早足で進む。
恵利と別れて、さあ、あの景色のもとへ早く行きますか! と、気合を入れたとき彼女は気づいた。
どうやって行けばいいのかわからない。
朔は雪人に電話をかけ、今、道を教えてもらっている。
雪人は迎えにいくよと言ったのだが、彼女はそれを断った。
自分で行きたかった。また一人でそこまで行けるようになるために。
しかし電話だけの道案内は難しいらしく、朔の土地勘のなさも手伝ってなかなか辿りつけなかった。
「ゆ、雪人……!」
ゼーゼー言いながら朔は雪人のもとに近づく。
あれからかなり経った。携帯の電話料金を見るのが怖い。
同じところをグルグル回り、突然知らぬところへ出て、迷った!? と思ったとき、やっとここに繋がる小さな坂を発見した。
朔は前雪人と一緒に行ったときこんなに遠い場所にあったかなと不思議に思いながら一気に坂を駆け上がった。
おかげでかなり疲れた。
「朔、お疲れさま。着いてよかったね」
安心したようににっこりと笑う雪人。
だんだん低くなる夕陽の中で微笑む雪人はとてもきれいだったが、朔は彼より景色のほうが見たかった。
「雪人、道案内ありがとう。遅くなってごめん」
そう言って雪人に謝ったあと、朔は一息吐き、そしてあの景色を見た。
町全体が夕陽に照らされ、オレンジ色に染まっている。
この景色を見るためにわたしはここに来たんだ、と朔は感動する。
「景色、きれいだね」
「うん!」
「朔、今日、突然誘ったのはね、朔に話があったからなんだ」
そういえばそんなことメールでいっていた気がする。「話って何?」と朔は訊く。
「好きなんでしょ」
主語がない。
朔は「何が?」と景色から目を離し、雪人のほうを向く。
瞬間凍りつく。
朔は見なければよかったと思った。
振り向いて見た雪人は、いつかの懐かしい笑顔を浮かべている。
あの恐ろしいほど怖くて、きれいな笑顔。
やばい。この先の続きの言葉は聞かないほうがいい。
朔の雪人に対する僅かながら確実な経験がそう警告する。
だが、雪人は相変わらず微笑みながら言葉を続ける。
「都崎先生。朔は、都崎先生が好きなんでしょ」
何を言っているのかわからなかった。
きっと何かとんでもないことを言うとは思っていた。
だけど。
まさか都崎の名前が出てくるとは。
「な、何言って……何で、わたしが都崎……先生を……」
「あれ? 朔気づいてなかったの? 朔は、都崎先生が好きなんだよ」
そんなわけない! と叫ぶ前に、雪人はおかまいなしに続ける。
「今日都崎先生が朔に鞄届けに来てたとき、朔の顔真っ赤だったんだよ。都崎先生のこと、好きなんでしょ?」
「違う!」
「違わないよ。そんなに顔を赤くして怒らなくてもいいのに。照れてるの?」
更に朔の顔が赤くなる。それは怒っているためか照れているためか、彼女にはわからない。
違うとまた叫ぼうとしたが声が出ない。朔はただ雪人を睨みつけるだけしかできなかった。
雪人はとてもおもしろそうに笑っている。朔をからかって楽しんでいる。
「そんなに睨まなくてもいいのに。朔はかわいいね」
そう言って雪人はくすりと笑う。
腹が立った。自分は雪人に遊ばれているんじゃないかと。
でも朔が言葉をなくしているのはそれだけのためじゃない。
何で、何で自分はこんなにも照れてる≠フだろう。
そのとき、余裕な表情で笑っていた雪人の顔に驚きの色がうかぶ。
「朔、ちょっとこっち来て」
無理やり朔を引っ張りずるずると引きずる。
朔は驚いてやはり声の出ないまま。
「どうしよう。どこかに隠れようかな。うーん、あ! あの茂みがいい」
そして雪人はその茂みに朔をひっぱりながら早足で歩く。
「何とも、タイミングがいいというか……よすぎかな、これは」
困ったように、それでいて楽しんでいるように、雪人は笑った。
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